国際プロトコール学習:西洋のテーブルマナーの歴史を一から学ぶ
国際プロトコールの学びに必ずテーブルマナーのセクションが含まれるのはなぜでしょうか?単に、エレガントな振る舞いをする為でしょうか?
食事の場は、人間関係の構築や、取り決めを決める際に、実に有効な場面となり、その後の関係性が決まる大切な場です。それにより、人が距離を縮めたり、離れたりします。
その場で、正しい振る舞いができないと、誤解を招き、正しい人間関係を構築できない事もあり、その為、国際プロトコールの学びには、テーブルマナーのセクションが欠かせない物です。
人は、生きるために「食べる」という行為をします。 人間だけに与えられた特権として、「食事」という行為があります。これ は、「食べる」という共通の行動を、ものを使って、他人と共に、コミュニケーショ ンを取るという行為にあります。
テーブルマナーとは、自分が口から発する「言葉」同様、他人へ与えるイメージに直結するものなのです。
歴史的背景により、伝わるマナーが曖昧なままです。それにより、無駄に小さな事で正しさを争うような事もありますが、まずは、その「違い」の正体を知る為に、歴史を見ていきましょう。
欧米のテーブルマナーは一つではない
欧米と言っても、ヨーロッパの国々、北アメリカ、南アメリカまで含まれます。それらの100ヶ国以上の国々で、同じテーブルマナーを使うかというと、勿論、そのような訳はありません。
世界へ伝わっている西洋のテーブルマナーは、曖昧で、正しく知っている人もまだ少ない事が現状です。
西洋の 文化を取り入れきれていない日本人にとってもまた、異なる種類の西洋マナーは 未だに混乱があると言っても過言ではありません。
日本に初めて導入された西洋テーブルマナーは『食事作法の50則』です。
今から500年近くも前の書物で、テーブルマナーの基本と理念はいまもこの本に根ざしています。しかし、余りにも古く、また、イギリスがフランスのテーブルマナーを浸透させないまま日本に伝わったために、混合した為、日本のテーブルマナーが混合しているとも言われています。
正しいテーブルマナーを知る前に、その歴史を見ていきましょう。
テーブルマナーの起源 紀元前2500年ごろ
文献に残っている食事のマナーでもっとも古いものは、紀元前2500年ごろ、古代エジプト・イセシ王時代のプタホテップの指導書にあります。
「人々と一緒に食事をする場合には、目上の人に従いなさい」
「皆が笑うときには、あなたも笑いなさい」
「食事の席では決して自己主張することなく、上に立つ人の見方で物事を見なさい」
マナーの本質は「思いやり」の心で、人と人とが上手に付き合っていくための気遣いが大切であることが、すでに4,000年前の書物に書かれていました。
11世紀 十字軍 – 12世紀
ヨーロッパ各地のキリスト教徒は聖地エルサレムを異教徒から奪い返すために十字軍を創設しました。
この軍隊は、神の名のもとに立ち上がったというプライドと、騎士道の精神を何より重んじたといい、礼儀やマナー、エチケットには厳しくありました。そんな十字軍が各地に趣いたため、マナーやエチケットが広まりました。
また、この十字軍で必須とされた騎士道の考え方こそが、「レディファースト」と呼ばれる、女性を立て、丁寧に扱う行為にも関係しています。
12世紀まで
ヨーロッパの人々の食事はローストした肉とゆでた野菜、そしてごく素朴なパンが主流でした。そんな中、イタリアのメディチ家とフランス王室の食事だけは、時の権力に呼応してどんどん豪華に、贅沢になったのです。
当時は、きちんと確立したテーブルマナーらしきものはなく、テーブルに並べられるカトラリーはナイフのみ、あるいはナイフとスプーンのみで、まだフォークは登場していません。
すべての料理は一度にテーブルに並べられ、肉や魚の塊は大皿盛りで出され大きなナイフで切り分けるのは主人(ホスト)の役割でした。
人々はそれを分け合って、手づかみで食べていた この手づかみの食事作法は、王侯貴族でさえ例外ではありませんでした。
スープやソースなどの液体はパンに浸して食べ、汚れた手はテーブルクロスで拭く 従って、このような食事作法の中では、手指を清潔にすることが最も大切だったのです。
テーブルに着く順番(席順)も、また料理を出す順番も、現在のように厳しい決まりはありませんでした。
あらゆる料理が一度に出され、並べられ、一人ひとりのゲストが何を食べるかは、何よりも座った席によって決まりました。
全員に行き渡るように大皿を回したり、取り分けたものを配るということができませんでした。
ゲスト全員がすべてのメニューを食べるべきだとは、誰も考えていなかったのです。
人々は自分の席から手の届く範囲の料理か、あるいは隣の人が取ってくれる料理だけを食べました。
会食者全員が同じものを食べ、メニューに載っているものを一通り口にする、一人ひとりに料理が順番に運ばれてくる、という形式は、「18世紀」になってようやく始まったものです。
13~15世紀
本格的なマナーの書物が出版されるようになりました。そこには、こんな内容が書かれていました。
「食べ終わった骨などは元の皿に戻さない」
「食事中に鼻を鳴らしてはいけない」
「テーブルの上や周囲に唾を吐いてはならない」
「鼻をかんだり、咳をするときはテーブルに飛ばないよう、後ろ向きで行う」
14世紀
さらに内容は細かくなりました。
「食事前には手を洗うこと」
「ナイフの先を楊枝がわりに使わない(当時、ナイフの先は尖っていたらしく…)」
15世紀の「食事の作法の50のルール」
本格的なテーブルマナー専門の指示書が登場しました。
イタリアの名家・メディチ家のカトリーヌがフランスの王家に嫁いだ際、付き添ってきた料理長がフランスのテーブルマナーの野蛮さにおどろき、カトラリーの使い方などをまとめた「食事作法の50則」が生まれました。これが世界最初のテーブルマナー専門書だと言われています。
やがてこの本がイギリスなどヨーロッパ各地へと伝わり、テーブルマナーは広りました。
特にイギリスとフランスは自国のプライドにかけて、基本のマナーに独自のアレンジをほどこすようになりました。最終的にはXNUMX世紀イギリスで、現代に伝わるテーブルマナーが確立しました。フランス式とイギリス式でテーブルマナーが大きく違うのはこのためなのです。
18世紀終わりーイギリス産業革命新しい繁栄
18世紀の終わりから19世紀の終わりのイギリス産業革命では、農業、工業が発達し、鉱業と運送は、社会的経済と文化の大きな発展に関わりました。
テーブルマナーは、その後、ヨーロッパ、北米、そして世界へと広まったのです。
19世紀
上流階級に対して中流階級が出現し、彼らに、お手伝いさん、娯楽などが流行りました。
人が裕福となり、中流階級が上流の物を手に入れられるようになり、彼らは、高級なテーブルなどを購入できるようになったのです。
イギリスの伝統的な家は、二階に(First Floor)リビングとダイビングがあり、ドアで分かれており、食事がアナウンスされると、ゲストはシッティングルーム(飲み物などが出され、食事前に愉む場所)から、ダイニングへ移動し、列を作りました。飲み物は、ダイニングへは持っていきませんでした。
これらのイベントは、豪華さ、銀器、クリスタルに囲まれた正式な行事でした.
- ホストはファーストレディーと一緒に最初に部屋に入り、レディーたちは右側に
- ゲストは先着順
- ホステスは一番重要な男と一緒に最後に入る
- インフォーマルダイニング
- 最初にホステスが入り、次に女性が入る
- 男性は女性に続く
- ホストは最後
- 終わりにはホステスが一番最初に出る(プロトコール以外)
第一次世界大戦後 1914-1918
仕事の機会が増え、人々は良い給料で独立ができるようになったので、お手伝いさん減少しました。
サービス業界で働いていた人が、別の職につくことが出来るようになり、女性は秘書、男性は経理などを好む様になりました。
メイドが少なくなり、メイド産業が少なくなったため、正式な食事が少なくなりました。
第二次世界大戦後 1939-1945
米国兵士のスタイルへ変わりました。ここにはダイニングルームはなくなりました。
そして、リビングエリアとダイニングエリアに区切りが無くなりました。
1980年代のアメリカのキッチン
オープンキッチンが流行り、ゲストとホストが互いに何をしているのか見えるようになりました。
2000年代 – キッチンなし
レストランなどで過ごす都会スタイルに変化していったのです。
ICPAでは、国際マナーのコースを開講しています。よかったら、ご体験へお越しください。
異なる形式のテーブルマナーを学ぶこと
冒頭に示したように、テーブルエチケットを知ることは、人間関係の正しい構築に繋がります。テーブルマナーは一つではありません。
歴史を少し理解したら、次は、実際にテーブルマナーを学び、いつ、どのように振る舞うかを学んでいきましょう。
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