国際教養・国際マナーの学習はリベラルアーツ学問 単なる自分磨きではない 真の自由な人生を設計する学問である

この「マナー」と言う言葉に問題があると、私は考えています。

「私はマナーの先生ではありません」とよく申し上げる理由が、人々には、この言葉に対する、間違った理解があるからです。

この学びを、「オプション」である、「自分磨き」だけが目的としない事が、重要です。

この学問は、

  • 国際的に活躍したい人
  • 人生を豊かにしたい人
  • よりレベルの高いスキルを身につけたい人
  • 自信を身につけたい人
  • 教養人になりたい人

が、一生の宝を手に入れる為に学習する事です。

単に、「綺麗になりたい」「ICPAの日本唯一のブランドが欲しい」であれば、ICPAの学びにはついてこれません。

私が教えているのは、「国際教養」であり、その中に、マナーやプロトコールと言ったものが重要視されているものです。いわゆる、表向きの「振る舞い」や「やり方」だけを、本に書いてあるように教えるのではありません。

「マナーの先生」=「サービスする人」と勘違いする人もいますが、私は、一切のサービスはしません。

先生が上、生徒は下で、この関係は、いくら支払われても変わりません。勿論、その弟子である生徒がクレームなど、言語道断で、通常、「良い意見」とみなされなければ、「学院名を汚した」とされ、即、退学となります。

ICPAは、意見力を育てますが、その「意見」と「クレーム」の違いを理解しないまま発言すれば、こう言う事にもなり、私も、指導者として容赦のない対応をし、厳しい言葉を投げます。そう言う人は、「マナーの先生なのに」と反発してきますが、それは逆効果となります。

国際教養を教えるとはそう言う事です。

現代の日本は、非常に甘く、人々が権利を自分の都合のように解釈する事で、混乱が治っていません。サービス精神旺盛な日本人は、クレームには対処しなければ、と全力を尽くしますが、それに慣れた「顧客」はどんどんわがままとなり、礼儀などは忘れてしまいます。

それこそ、「マナー」などすらない人々に育っていきます。

国際教養とは、リベラルアーツです。

参考:リベラルアーツとは

「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」と見なされた自由七科のことである。具体的には文法学修辞学論理学の3学(英:trivium)、および算術(数論)・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学[注釈 2]音楽[注釈 3]の4科(英:quadrivium)のこと。

文法学修辞学論理学の3学に、ICPAの学習は関係する、と言う事です。国際マナーとは、それらの学問が基づいてできているものです。

文法学:キリスト教徒、特に聖職者にとって言葉を誤り無く相手に伝えることは聖書に書かれた教義を正しく布教するうえで重要であると考えられた。

こちらが、言語学習の「言語を正しく理解する」ことに繋がります。

修辞学:基本的には弁論・演説の技術で、聴衆の説得・扇動・魅了を目的とするかなり政治的なもの。そのため修辞学では、聴衆を丸め込む心理操作の技術が大きな位置を占め、さらに演説者の身ぶりや発声法なども重要視された。つまり、修辞学は文彩だけでなく、言語学・政治術・話術・演技論・感情分析・思考法などの総体だった。

こちらは、中級で行う実践的なスキル ボディランゲージ、スピーチ、ネットワーキング、テーブルマナーに繋がります。

論理学:論理とは、思考の形式及び法則である。これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す。よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということである。

こちらは、講座で行われる、会話、レター、メール、序列の理解、プロトコールの理解に繋がります。

ICPAの教えは、これらに基づいています。

マナーとは、他者へ対しての尊重です。

リベラルアーツの学問の目的は、このような学問を通して、他者への尊重の精神を育て、学問的に物事を捉えるトレーニングをする事で、他者の事、他者からの目が気にならなくなり、「自分」を尊重し、他者との議論を経て、真の意味での「自由」を手にし、人生を歩む事ができる学問です。

ICPAでの学びは、このような、人生において大事な事を教えることで、本来の目的である、

を叶えて頂く教養学問を学ぶための学院です。

だからこそ、国際マナーの学習から、それらを総合的に学ぶ事ができるのです。

〜学びは感動〜 人生の豊かさは 「誰に出会い、何を学び 、何を経験したか」 皆で学んで学んで みんなで感動していこう ICPA 学院長

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