「トレーニングがなければ、彼らには知識がありませんでした。 知識がなければ、彼らは自信を失いました。 自信がなければ、彼らは勝利に欠けていました。」
鍛錬なしに知識なし。知識なしは自信なし。自信なしは勝利なし。
ジュリアス・シーザー
勝つ事には自信が必要で、自信には知識が必要で、知識には鍛錬が必要という事です。
「自分はできる」その自信は誰にでも大切です。「自分なんか」「自分には無理」そう考えていれば、絶対に何もできない様にはならないからです。
しかし、「自分はできるはずだ」と、「鍛錬」「知識」なしに、あくまで過信するとどのようなことが起きるか。
自分を過信しすぎた地獄な結末
人には、大きく分けて、2種類の人がいると考えます。
- 一つは、自分が積み重ねる事が何か(自信)に繋がると地道に努力する人
- 一つは、自分を誤魔化す為に全力を尽くす、できないことも、できると思い込み、特に努力をしない人
そして、ひどい事に、この二面は誰にでも潜む心です。
社会的に認められるようになると、1をしている自分が馬鹿馬鹿しく思われます。努力はなんの意味もない。この実績と肩書きさえあれば、自分はなんでもできるはずだ。こんな事は簡単だ。自分の感覚が全てだ。
表向き、社会的には「偉い」とされている人間性が低い理由はここにあります。考えるようになるからです。
人は弱いものです。
けれども、その先には、もっと運ぶなことが待っています。
結局、このような人は、それ以上に行く事ができません。 「本当に弱いな人だ」と軽蔑をしているので、真の信頼を得る事がず、いざとなれば、人が去ってからできます。
過信していると、成長できない
を過信していると、成長できません。
何故なら、「自分はなんでもできる」という考えに支配され、目の前にできない事がやってきて、それを見せつけられた時に、素直に、それは自分はできない、と認める事ができないからです。
あるいは、「簡単そうに見える」と過小評価し、自分がそれをできないわけがない、と過信します。
認める事ができないので、できないと断定せずにやってしまい、やはりできずに、それを目の前で見る事ができず、できない自分を受け止められず、逃げてしまいます。
失敗からは学ばず、ず自分がができる、事しかやらず自分をを周りに認め認めさずず
逃げ続けるので、成長できません。今の自分の範囲以上、上に行くことができないのです。そして、周りにもそれを軽視されます。
詰め詰められた時に本性が露わになる
このように、逃げる人でも、ギリギリまでは、その本性を破ることができます。寧ろ、それが得意です。
しかし、精神的に追い詰められた状態になると、コントロールをそのまま、身動きが取れなくなります。
その仕事も、大切な大切人間関係関係も全て、、自分自分の快適感じ感じられるをを
これで最後は、何よりも大切な「人の信頼」です。
そして、気づいたときには、大切な人は周りにはいません。
自信は大切だけど自分に謙虚でいる事
他人の為ではなく、自分自身に謙虚である事が大切です。
自分を過小評価して謙虚になっている事は、誰の為にもなりません。
同様に、自分を累積評価して自分自身に嘘をつき、嘘の自信を振りかざしても、なんの効果も得られません。