世界は今、かつてないスピードで変化し、グローバル化が進んでいます。
このような社会において、世界中の人々と円滑にコミュニケーションを取るには、「自分の意思を明確に伝え、相手のメッセージを正しく受け取る」ことが、以前にも増して重要になっています。
特に日本では、「世界共通語」とされる英語の習得にばかり注目が集まり、**“英語だけがコミュニケーション手段である”**と誤解されがちです。
しかし、**本当の意味でのコミュニケーションは、言葉だけで成り立つものではなく、態度や表現そのものが「もう一つの言語」**なのです。表現の仕方を誤れば、意図は正しく伝わりません。
では、今最も大切なこととは何でしょうか?
それは「エチケット」であり、さらに言えば「外交」や「異文化ビジネス」においては、相手国の文化を理解し、プロトコール(公式作法)として実践することなのです。
本記事では、「エチケット」と「プロトコール」とは何か、そしてそれがグローバル社会でなぜ重要なのかを、詳しくご紹介いたします。
エチケットとは?
「エチケット」と聞くと、多くの方が次のように感じるかもしれません:
・「堅苦しくてつまらない、ルールだらけのもの」
・「上流階級の人がするもの」
・「本に書いてあるルールをただ守ればよい」
これらは世界的に見られる一般的な誤解ですが、本来のエチケットはそれとはまったく異なり、人生をより豊かにするための基本的な教養なのです。
エチケットとは、思いやりの心を表現する“行動の規範”であり、人間性を育てる素晴らしい学びです。
一部の国では、「エチケット」という言葉そのものが堅苦しい印象を与えるため、あえて使用せず、よりカジュアルな文化を“礼儀”として受け入れています。
たとえば、「形式ばらないこと」自体がその国におけるエチケットである場合もあります。一方で、日本のように、友人同士であっても礼節を重んじる文化もあり、敬意を持った言動こそが最も大切なコミュニケーションとされています。
エチケットは国や文化、時代によって変化しますが、常に変わらない核は「相手への敬意と思いやり」です。
受動的に「迷惑をかけないように」と考えるのではなく、**「相手に喜んでもらうための積極的な行動」**としてとらえると、エチケットは魅力的で、心の豊かさを育む手段になります。
エチケットは、人間性を育む素晴らしい教養です。
マナーとは?
「では、“マナー”とは何か?」「エチケットとどう違うのか?」という質問もよくいただきます。
**マナーとは、エチケットを実践するための“心構え”や“姿勢”**を意味します。
たとえ形式上のエチケット(ルール)を破らなければならない場面があったとしても、そこに**相手への思いやりがあれば“良いマナー”**とされます。
たとえばカナダやオーストラリアなどでは、フレンドリーさや親しみやすさを重視する場面では、あえてルールを緩やかに扱うこともあります。
このような振る舞いは、人によっては不快に感じられることもあります。そのため、相手が心地よく感じる在り方を理解し、自分が正しいと信じる行動をとることが大切です。これこそが、良きマナーに基づいた姿勢です。
その一方で、日本では“マナー”という言葉に「ルール厳守」というイメージが強く、ルールに従うことが正義のように受け取られがちです。
このような文化的背景から、時には反動で驚くほど無礼な態度をとる人も見受けられます。
しかし、どんな相手であっても、思いやりのある人は好かれるものです。
国・文化・宗教・人種に関係なく、これは人間共通の感覚です。
プロトコールとは?
“エチケット”の他に「プロトコール」という言葉があります。
詳細は別記事にて紹介しますが、ここでは簡単にご説明します。
プロトコールとは、**公式行事・外交・医療・研究・ビジネスなどにおける「正式なルール」や「手順・儀礼」**を指します。
以下のように、辞書にはさまざまな定義が記載されています:
- 公式な式典や行事において用いられる、規則と受け入れられる立ち居振る舞いの体系
- 公式な場面における正しい振る舞いのための正式なルールの体系
- 科学的研究を行う際のルールや、医療処置を行うための厳密な方法
- 異なるコンピュータ間またはネットワーク間で情報をやり取りするための技術的なルールの集合
- 正式な議論の場などにおいて、人や組織が従うべきルールと受け入れられる行動の体系
つまり、プロトコールとは、組織内または組織間のネットワーク的なルールであり、異文化エチケットに基づいて設計されたものです。グローバルビジネスの場では、非常に重要な役割を果たします。
より詳細な説明は、次回の記事にてお届けいたします。
エチケットは“言語”である
エチケットは、時代・文化・国・環境によって変化します。
しかし、その本質は常に「敬意をもって他者と接すること」にあります。
この原則を誤れば、相手に誤ったメッセージを伝えてしまいます。
例として、日本とアメリカを比較してみましょう。
日本では、言語による説明よりも、その場の空気や立ち居振る舞いで意思を伝える傾向があります。
一方、アメリカでは言語的・身体的にダイナミックな表現が主流です。
アメリカでは、挨拶としてハグを交わすことがよくありますが、日本ではハグは恋人やごく親しい友人の間だけで行われ、家族でさえ行わないのが一般的です。そのため、日本人には「性的な接近」と受け取られる可能性があります。また、日本人はあまりアイコンタクトを取らない傾向にあり、それをアメリカ人は「失礼」と感じることもあるでしょう。
西洋人にとって「沈黙を尊ぶ」日本人のコミュニケーションスタイルを理解するのは非常に難しく、また、日本人にとっても、必ずしも語学力や表現力の問題ではなく、文化的背景から「言葉にする」こと自体が難しいのです。
こうしたすれ違いは、言語や自国のマナーだけでは補いきれないものであり、エチケットという「コミュニケーションの道具」を通じて明確に表現することで、初めて正確に伝わり、理解されるのです。
その国のエチケットに則って挨拶し、会話を交わすことによって、相手とのより良い関係性を築くことができます。一方で、自国のやり方を貫いてしまえば、その言語で話しているにもかかわらず、意図がまったく伝わらず、相手のことも理解できないという事態になりかねません。
だからこそ、国際エチケットの学習は、現代のグローバル社会に生きる人々にとって極めて重要なのです。
エチケットは上流階級のものだけ?
エチケットは、「上品な人」「特別な人」「上流階級の人」だけが身につけるものだと考える方もいるかもしれません。
しかし、前述の通り、エチケットとはすべての「人」によって使われる言語であり、必ずしもフォーマルな場だけで使われるものではありません。
人を思いやり、丁寧に接するという行為には、階級というものは存在しません。人は誰しも、年齢・性別・人種・宗教に関係なく、また上司であろうと部下であろうと、互いに尊重し合うべき存在です。
では、エチケットはどうやって学ぶべきでしょうか? 誰から学ぶのが良いのでしょうか?
最も明快な方法は、「上流階級の所作から学び、自分の生活に応用すること」です。なぜなら、上流階級のエチケットはすでに形式として体系化されており、参考にしやすいからです。
したがって、国際エチケットの学習には「プロトコール(国際儀礼)」の理解が不可欠であり、プロトコールの基本には必ず国際エチケットの内容が含まれています。
自分が所属するコミュニティにおいて、どのような振る舞いがふさわしいのかを考えるとき、エチケットの学びは非常に大きな力を発揮します。周囲の人を幸せにし、人に好かれ、人生がより豊かになる――それがエチケットの素晴らしい学びなのです。
文化、民族、宗教、階級、役職といったものは、人類学を学び、人間性を育むという意味において、まったく関係ありません。
なぜ現代のグローバル社会においてエチケットが重要なのか?
ここまでの説明から、国際社会においてエチケットを学ぶことがいかに重要であるかは、もはや明白でしょう。
国が変われば、マナーも変わります。「普遍的なエチケット」や「国際的に通用するプロトコール」などは存在しません。
また、エチケットの学びは、単に「どう振る舞えばよいか」という表面的な訓練ではありません。歴史・宗教・文化・人間・哲学など、あらゆる教養が求められるリベラルアーツ(教養学)の一環なのです。
まずは、「英語が世界中で学ばれているように」、多くの国々で通用する「西洋エチケット」から学ぶのが賢明です。あなたがもし西洋の出身であれば、自国のエチケットを本当に理解しているか、見直してみるのも良いでしょう。
また、関わる相手国のエチケットを学ぶことも、常に良い選択です。
同時に、あるいはその後に、前述のような本質的な学びを深め、それを自分の中に落とし込みながら、継続的な実践と新たな発見を通じて、確かな知として身につけていくことが大切です。
そうすれば、誤ったメッセージを、誤ったやり方で延々と伝え続けるようなことは、もう起こらなくなります。
さあ、今日から学びを始めて、「よきマナー」で人生をもっと軽やかにしていきましょう!
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